尾鷲 大漁旗物語

大漁旗について

 大漁旗は本来、新しい船のお披露目の時などに、船主にゆかりのある人々が船主にお祝いの品として贈ることが一般的でした。
また、漁に出た漁船が大漁で帰港する際に船上に大漁旗を揚げる習慣が広まりました。
 明治時代後期の尾鷲では『福が来る』として『福来旗(フライキ)』と呼ばれていたそです。現在ではフラフと呼ばれています。フラフはオランダ語で『VLAG』と書き、旗を意味します。
 当時、欧米列強に翻弄されていた東南アジアまで、尾鷲の漁師たちは漁に行っていたのでした。その時に覚えた言葉『VLAG』は、今でも尾鷲の港町で使われています。
 大漁旗は昭和40年頃迄は盛んに使用されていましたが、木造船からFRP船に変わるにつれ新しく造られる船の数も減り、大漁旗が贈られる機会も減りました。
 大漁旗の染職人も激減し、三重県でも尾鷲の『万助屋』3代目の山本さん(85歳・2015年現在)のみとなりました。

Flyki(フライキ)

「なんとかカタチにして、尾鷲の大漁旗文化を残せないだろうか」そんな想いから作りはじめたのが『Flyki owasi vlag』です。
 初めに蝶ネクタイをつくった理由は、尾鷲の大漁旗染職人・万助屋の山本さんから「フライキ」とお聞きした時、「Fly」という単語を言葉の音だけでイメージしたことからはじまりました。
「Fly」+「旗(ハタ)」=フライキ→フライハタ→バタフライ(蝶)→蝶ネクタイ・・・
まるで言葉遊びのようですが、大真面目です。
大漁を告げながらはためく大漁旗と、飛躍する蝶々のイメージが重なったのです。
尾鷲の大漁旗が、いつまでも蝶のように羽ばたきますように。

尾鷲 大漁旗物語

ここに天満浦百人会の松井さんが、紀州唯一の大漁旗染職人・万助屋の山本さんとの会話をもとに書き下ろした手記があります。何度かに分けて取材をするそうで、今後も手記は増える予定です。
 天満荘の玄関にかかっている暖簾は、天満荘開業祝いとして、山本さんが染めてくれたもの。とても縁の深い方です。
 本来ならこの手記をテキストデータ化し掲載するのが望ましいのかもしれませんが、考え悩んだあげく、手記そのままを掲載したいと考えました。
「松井さんが山本さんの取材をする」ということ自体にとても重みを感じ、直筆で見ていただいたほうが雰囲気が伝わるのではないかと思いました。
 読みづらいかもしれませんが、何卒ご了承ください。